遺伝子を利用した育種技術

更新日:2022年05月13日

水産試験場で取り組みはじめている養殖魚の遺伝子を利用した育種技術についてのご紹介です。

電子ファイルは以下からダウンロードできます。

遺伝子を利用した育種技術(PDFファイル:750KB)

なお、この内容は水産宮崎No.752-753に掲載されたものです。

 

遺伝子を利用した育種技術

-増養殖部-

 

1 はじめに

近年の世界的な水産物の需要増大に伴い水産物貿易量も増加しており、特に養殖生産量は増加傾向にあります(図1)。これは、資源量の変動による影響を直接的に受け漁獲量が変動する漁船漁業に対し、養殖業では、消費者ニーズの高い魚種を需要に応じて周年供給できることが大きな要因だと考えられます。養殖生産量の増加傾向は本県の養殖業においても同様で、平成初期(H5~9)と比較すると、近年(H27~R元)の海面及び内水面の平均養殖生産量は約1.3倍に増加しており、今後も更なる養殖業の成長が期待されます(令和2年度宮崎県水産白書公表値)。

しかし、養殖業においては、時として有害赤潮や魚病といった事象によって養殖魚の大量へい死が発生し、養殖業者に多大な被害をもたらすばかりでなく、消費者の生活にも大きな影響をもたらすこともあります。これらを最小限に抑えるために、水産試験場は、赤潮が発生しやすい時期にモニタリング調査することで被害の未然防止・赤潮発生予察を図るとともに、国や大学と連携した迅速な魚病診断技術等を開発しています。

一方で、近年、生まれながらにして赤潮に強い個体や耐病性のある個体等の遺伝子に着目した育種技術の発展が目覚ましく、関係者から期待の声が上がっています。そこで、本稿では、この育種技術についてご紹介します。

図1世界の漁業・養殖業生産量の推移(令和3年度水産庁水産白書より引用)

図1 世界の漁業・養殖業生産量の推移(令和3年度水産庁水産白書より引用)

 

2 育種

育種とは、「生物種が備える形質(形態学的、生理学的、生態学的、生化学的な特性)の多様性を利用して有益で特徴のある品種を作出すること」を意味します。換言すれば、「体が大きい、色が鮮やか、病気に強いといった個体がもつ性質を利用して、一段と利用価値の高い個体を作出すること」です。

育種の目標は対象種によって著しく異なり、人間にとって好ましい特徴を備える個体を選抜すること(=選抜育種)により改良が進められてきたと考えられています。例えば、ウシでは野生牛は気が荒く大型であったため飼育においてより制御しやすい小型化を目標とする育種が行われ、更には肉用牛と並行して搾乳用牛の育種が行われました。また、ウマの場合は乗用、運搬用、競技用などと育種目標は時代とともに変遷しました。家畜育種の事例にみられるように対象種ごとにさまざまな育種目標が設定され、それに対応する選抜や交配などの育種技術が駆使される中で有用品種が作出・固定されてきた歴史が古くからあります。

一方で、水産育種の歴史はまだ新しく、作出された新品種の事例や生産効率の改良事例数も多くありません。このような家畜育種と比較した水産育種の遅れの原因は、1.対象生物が水圏生活者であり、選抜育種にかかわる個体識別の困難性とその開発の遅れ、2.種苗生産が可能な魚類が少ない、3.育種の進展状況が対象魚種により著しく異なっている、4.野生種に近く、家系化が進んでいない、5.ウシなどと比べて繁殖技術が遅れていること等が要因と考えられていました。

このような中で、近年の世界的な養殖業発展の背景には、過去に水産育種実施に至らなかった上記要因を解消した「遺伝子マーカー」とよばれる技術研究が一翼を担っています。この技術は、育種にかかわる個体識別技術のみならず、その個体がもつ有用な形質の有無を判別することを可能とし、今後の養殖業の成長産業化における成功の鍵であると認識されています。

 

3 遺伝子マーカー

細胞の中には核があり、その核の中には両親から受け継いだ染色体があります。染色体をほどいていくと、らせん構造をしたDNA(デオキシリボ核酸)があります。このDNAが遺伝子の本体で、生物の遺伝形質を規定しています。さらに、DNAのひもの部分は糖とリン酸、ひもを橋渡しする部分は塩基でできています。塩基は「A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)」という物質で出来ていて、常にA・T、G・Cのペアで並んでいます。このDNAを構成する4種類の塩基の並び方(=塩基配列)の違いを、個体を識別する際の目印として利用することができ、このような目印となるDNAの塩基配列の違いを遺伝子マーカーと呼んでいます(図2)。

 

図2遺伝子マーカーのイメージ

図2 遺伝子マーカーのイメージ

 

4 遺伝子マーカーを利用した育種技術

水産養殖用種苗で最も求められている形質は、病気に強い性質すなわち耐病性形質であると考えられます。これまでの育種法では、成長の良い大きい個体を次世代の親魚にするなど、見た目(=表現型)による選抜育種法が行われることが多かったのですが、耐病性形質を表現型だけで判断することは基本的には不可能です。

しかし、遺伝子マーカーを利用し、「その個体が目的とする形質を保持しているか、していないか(ここでは耐病性形質を規定する塩基配列をもっているか、いないか)」を識別する目印を開発することで、耐病性形質を備えた品種を作出することが可能となります。このように、遺伝子マーカーを利用した育種法のことをマーカーアシスト選抜(MAS)育種法といい、この技術は養殖用新規種苗の作出のために世界各国で近年取り組まれている技術の一つです(図3)。我が国においては、ブリ、ヒラメ、クロマグロやアユなどのMAS育種法の実績とともに、将来のMAS育種法の対象魚種としてウナギなどが安定的な種苗生産技術の開発とともに、遺伝情報解析の準備が進められています。

図3MAS育種法

図3 MAS育種法

 

5 ブリのMAS育種法の例

本県の主要な海面養殖魚の一つであり、我が国の重要な輸出品目の一つでもあるブリ類には、通称“ハダムシ”と呼ばれる寄生虫によって引き起こされる寄生虫症があります。ハダムシが体表面に付着したブリ類(図4)は、自ら生け簀の網に体をすりつけハダムシを外そうとするため、体中傷だらけになってしまいます。そして、その傷口から細菌感染症を引き起こし、生け簀内で水平感染することで、大量へい死を招いてしまいます。もし、ハダムシに寄生しにくい丈夫な品種を作ることができたら、この問題を解決することができます。

そこで、国の研究機関は、系統の異なるブリをハダムシに人為的に感染させる試験を行い、個体別のハダムシの付きにくさを評価し、ブリの染色体上に配置されたDNAマーカーを利用してハダムシの付きにくい個体を選抜・育種するMAS育種法に取り組み、一定の成果を得たとのことです(R元)。このような研究成果が今後のブリ類養殖におけるMAS育種法を進める上で重要な知見として役立つものとして期待されます。

図4ハダムシに寄生されたブリ

図4 ハダムシに寄生されたブリ

6 今後の養殖業について

今般の新型コロナウイルス感染症の拡大は、我が国の水産業において主に経営維持・消費拡大の面で影響を及ぼし、経済の衰退化を招いています。さらに、一部の魚種では、地球温暖化や海洋環境の変化等が要因と考えられる過去最低基準の不漁も記録されるなど水産業を取り巻く状況は時々刻々と変化していきます。社会経済や海洋環境が変化していく中で、水産業が将来にわたって発展していくためには、これらの変化に対応しながら、適切な資源管理と効率的な生産手法の確立を図ることが重要です。この遺伝子を利用した育種技術もその手法の一つであり、今後の養殖業おいて主流となる技術です。現在、大学や各試験研究機関において着々と成果が出てきている育種技術ですが、本県においても遺伝育種技術を「現場に役立つ技術」になるよう研究に着手したところであり、養殖業の更なる成長産業化へ繋がるよう努力していきたいと思います。

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